ひばりを知らない人にこそ、『HIBARI』が届く理由

NBAバレエ団6月公演
『リトルマーメイド』『HIBARI』- Koichi’s Room

今回は『HIBARI』について、最近あらためて強く感じたことを書きたいと思います。


それは、この作品は美空ひばりさんをよく知っている方のためだけのものではなく、
むしろ知らない方にまで届く力を持っている、ということです。


今の時代、美空ひばりさんをリアルタイムで知っている方のほうが少ないかもしれません。
だからこそ、この作品は懐かしさや知名度だけに頼るのではなく、作品そのものの力で届かなければいけない。僕はそう思っています。


先日、あるライターの方と一緒に『HIBARI』のリハーサルを見ていた時に、こんな話を聞きました。


以前この作品を外国のご友人と観に来られたそうなのですが、その方は美空ひばりさんのことをまったく知らなかった。

それでも「本当に面白かった」と言っていたそうです。


僕は、その話を聞いて、とても納得しました。
というのも、『HIBARI』という作品は、最初から“ひばりさんを知っている人だけに向けて”作られている作品ではないからです。


この作品の出発点が面白いのは、最初にひばりさんを見つけたのが、日本人の固定観念の中からではなかったということです。


リン・テイラー・コーベットはアメリカ人ですから、僕たちのように“昭和の大スター”として美空ひばりさんを知っていたわけではない。

まず歌声そのものに強く惹かれた。
そこが入口だったのだと思います。

ただもちろん、リンは感覚だけでこの作品を作ったわけではありません。


関係者方にもお会いしていますし、記念館やゆかりの地にも足を運び、資料や映像にもかなり触れながら、ひばりさんという存在を深く理解していった。その上で作品にしているんですね。

だから『HIBARI』は、表面的なイメージだけでなく、丁寧に掘り下げた本質の両方で成り立っている作品だと思います。

先日のリハーサルを見ながら、僕自身あらためて思ったことがあります。

歌というのは、基本的には耳で聴くものです。

でも『HIBARI』では、それが踊りになることで視覚も加わる。
聴覚だけで受け取っていたものに身体表現が加わり、五感のうち二つを使って感じることができる。

つまり感動が拡張するということではないかと思いました。


たとえば「悲しい酒」の場面。

女性一人に対して、黒子の二人が黒い布を使いながら、情景や感情を次々と表現していく。
あの発想は、本当にすごい。

日本語の演歌にある独特のわびさびや、にじむような情感を、ここまで舞台のイメージに変換できるのかと、僕自身驚かされます。

もちろん、歌詞の意味も理解した上で作っているのでしょうが、それにしても、その先の想像力が桁違いです。

リンの想像力は僕の想像をはるかに超えています。やはり天才は違うんだなあと思いました。

しかもこの作品は、群舞もあれば、パドドゥもあり、場面ごとに踊りもかなり違う。

バレエファンの方がご覧になっても、単なる企画ものではなく、歌をどう身体に翻訳するかという意味で、かなり見応えのある作品になっています。

実際、過去の外部レビューでも
本当に伝わるのか」と半信半疑だった方が、観終わった後にはその不安は杞憂だったと書いていましたし、外国の方でも、ひばりさんの人生の流れやカリスマ性、悲劇性が十分に伝わるという感想がありました。


つまりこれは、“知っている人向けの再現”ではなく、作品としてちゃんと届く強さを持っているということだと思います。


美空ひばりさんをよく知っている方には、もちろん深く響くと思います。
でも、この作品の強さはそこに留まりません。


知らない人にまで届いてしまう。
そこが『HIBARI』という作品の、本当の強さだと僕は思っています。


正直、この作品を次にいつ再演できるのか、今の段階では分かりません。
だからこそ、少しでも気になっている方には、今回ぜひ観ていただきたいです。


ひばりを知っているから観る」でもいいし、
知らないけれど、そこまで言うなら観てみたい」でもいい。

どちらでも構いません。

ただ一つ言えるのは、
この作品は、観ないまま通り過ぎるには、もったいなさすぎるということです。


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