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※経歴・肩書は審査員当時のもの
オーストラリアで研修を受けた後、ロイヤルアカデミー・オブ・ダンスの奨学金を受賞し、ロイヤルバレエスクールの上級クラスで学ぶ。オーストラリアバレエ団、カナダナショナルバレエ団、ロイヤルウィニペグバレエ団でプリンシパルアーティストとして、主なクラシック作品や話題性の高い作品の主役を演じた。 16年間のプロダンサーとしての活躍の後、オーストラリアのビクトリアにあるナショナルシアターバレエスクールで8年、オーストラリアバレエスクールで9年間校長を勤めた後、1999年にロイヤルバレエスクールの校長となる。 1997年にはバレエ界への貢献が認められ、オーストラリア勲章を受章。 彼女の知識と経験は国際的に高く評価されており、世界のダンス社会に様々な貢献をしている。 スイスのローザンヌ国際バレエコンクールやユース・アメリカ・グランプリコンクールなどの審査委員長として活躍。
2002年 ミルウォーキーバレエ団 芸術監督就任。
代表作品として『ピーターパン』が有名。 他手掛けた舞台作品の『ドラキュラ』、 『エスメラルダ』、『白鳥』、『1943年版ジゼル』、『眠りの森の美女』、『ロミオとジュリエット』は21世紀のクラッシクバレエとして 知られている。 彼は有名な振付家、バレエ教師として活躍している。ロイヤルバレエ学校で クラシックバレエを学び、1975年イングリッシュ・ナショナルバレエ団に 入団し様々な主役を踊る。ジョン・クランコの『オネーギン』にてナタリア・マカロワを相手役に主役を踊る。 ニネット・ド・ヴァロア、フレデリック・アシュトン、ルドルフ・ヌレエフ、 レオニード・マシーンらと芸術活動をする。 2008年、ウィスコンシン州ダンス評議会において振付家及びパフォーマンス賞を受賞。
延辺芸術学校を卒業し、北京舞踊大学で指導者課程を修了。 卒業後、同大学でバレエ教師を務めつつ、ユニバーサル・バレエにソリストとして参加。1995年から広州バレエ団バレエ教師、 1997年から中国国立バレエ団バレエ教師を務めながら、振付家としても大いに頭角を現しはじめる。 指導した弟子にはローザンヌ国際コンクール、パリ国際コンクール、ヴァルナ国際コンクール等で金賞や銀賞を受賞したダンサーもおり、 その卓越した指導力と振付家としての才能に各方面より大きな期待が向けられている。ユニバーサル・バレエではバレエ教師、副芸術監督を歴任し、2009年より芸術監督を務める。
代表的な創作は「パガニーニ・ラプソディー」(2003年)、「The Colors」(2005年)、「春香(チュニャン)」(2007年)
神奈川県横浜市出身。1979年に岩田バレエスクールでバレエを始め、1988年に全日本バレエコンクールジュニア部門で第1位となる。 1988年からソビエトバレエインスティテュートで2年間学ぶ。 1990年1月から国立モスクワ・バレエ・アカデミーで1年半学び、アレクサンドル・ボンダレンコに師事する。1991年10月からは国立ロシア・バレエ団に入団。 数々の国際コンクールに出場し、1995年ボリショイ劇場研究生、1996年に同劇場のソリストを経て、2003年の同劇場の第1ソリストに昇格する(ボリショイでの外国人第1ソリストは史上初)。 2009年11月、ロシア政府より友好勲章を授与される。 2010年3月、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。 2011年10月7日、今シーズン限りでの現役引退及びバレエ振付師への転向を表明。 2012年7月17日、ボリショイ劇場新館にて、自身の退団記念公演に出演。17年間のボリショイ・バレエ団でのダンサー生活に終止符を打つ。
日本バレエ協会会長。京都バレエ専門学校教授(舞踊歴史研究家)。1924年東京生まれ。東京大学経済学部卒。東勇作、ヴィタリー・オシンズ、アレクセイ・ワルラーモフに師事。モスクワ、ヴァルナ、ジャクソン国際バレエ・コンクール審査員を歴任。現在日本バレエ協会会長、ロシア国立モスクワ・ボリショイ・バレエアカデミー名誉教授。・著書「バレエ誕生から現在までの歴史」ほか・訳書「バレエ」「踊る大ニューヨーク」ほか
ボリショイ・バレエ学校校長。モスクワ生まれ。1963年モスクワアカデミックスクール振付科に入り、ロシア共和国の国民的芸術家/ガロフキナ教授に直接指導を受ける。 学校卒業後、国立ボリショイバレエ劇場に招かれる。ボリショイ劇場では、種々様々なバレエの役を踊る。 彼女の得意とする作品を一部紹介すると:プロコフィエフ作「石の花」の“鉱山の女主人’役、ハチャトリアン作「スパルタクス」の“エギータ”役、 アダンの「ジゼル」、メリコヴァ作「愛の伝説」の“メフメンバヌ”役、ストラビンスキー作品の“火の鳥”等々。 更に「ライモンダ」「ロメオとジュリエット」、「白鳥の湖」、「ドン・キホーテ」にも出演。2002年4月からはモスクワ国立バレエアカデミー(ボリショイバレエ学校)の校長となる。 レオノワの教え子達の中には、いろいろな受賞者達:国立ボリショイ劇場ソリストーEアンドリエンコ、Aヤツェンコ、更にAハザノワがいる。 又世界中の子供達を数多くのバレエコンクールで入賞に導いている。例えば、ローザンヌバレエコンクールで1995年日本の康村和恵、パリのバレエコンクールで2位入賞、 1998年ベルミ「アラベスク」で韓国のべ・ジュン・ユンが第1位、針山愛美は1997年パリのコンクールで2位、また韓国のキム・ジュ・ポンはモスクワ国際バレエコンクールで2001年3位入賞等々輝かしい指導者である。
チューリッヒダンスアカデミー校長。ザクセン州シュトルベルク生まれ。ベルリンバレエ学校にてバレエの教育を受けた後、1975年にベルリン国立歌劇場バレエ団入団。1978年ソリストに昇格。1987年プリマに昇格。
[受賞歴]1978年ヴェロナ国際コンクールブロンズ賞。1981年ドイツ国際コンクール1位及び芸術批評家賞受賞。
[主なレパートリ ]古典から現代まで幅広い作品を踊る。古典作品/「くるみ割り人形」「ジセル」「白鳥」「眠りの森の美女」「ドン・キホーテ」「コッベリア」「ロミオとジュリエット」「バヤデール」「パキータ」「ウンディーネ」「スパルタクス」「カルミナブラーナ」などの主役を踊る。バランシン作品/「シンフォニーインC」「ヴァイオリンコンチェルト」「4つの気質」「テーマとウァリエーション」「チャイコフスキーパドドウ」。ロ―ランプティ作品/「若者と死」「カルメン」等。モーリスベジャール作品/「シェヘラザード」のプロポーズのロ―ズ役(彼女の為モーリスが作成)。ピエール・ラコット作品/初演「妖精の湖」。ミカエルフォーキン作品/「瀕死の白鳥」。2003年ダンサー引退後、ベルリン国立歌劇場にてダンサーの育成に務め、生徒達は世界の有名なコンクールで優秀な成績を収める。2007年よりチューリッヒダンスアカデミーの校長を務める。同校はユースアメリカグランプリ、ローザンヌグランプリの提携校。
1981年 ミラノスカラ座バレエ学校で学ぶ
1985年 ABTバレエスクールで学ぶ
1987年 モナコ王立グレースバレエ学校で学ぶ
スタンレー・ウィリアムズ、ウラジミール・ワシリーエフ、ルドルフ・
ヌレエフ、ミハイル・バリシニコフらに師事。
17歳でフランダースのロイヤルバレエ団入団。
バランシン、ベジャール、チューダー等の作品を踊る。
1995年 シュツットガルトバレエ団入団
著名な振付家ハンス・フォン・マネン、イリ・キリアン、ジョン・ノイ
マイヤー、ウィリアム・フォーサイスらの作品を踊る。
キーロフバレエ団、ミラノスカラ座バレエ団等ゲストダンサー。
2000年 バイエルン国立バレエ団入団。
クラッシク・コンテンポラリーの幅広い分野の作品で主役を務める。
2008年 キャピトルバレエ団 バレエマスター
2009年 モナコ王立グレースバレエ学校校長に就任
1978年 瀋陽音楽学院バレエ科卒業
1978年 遼寧バレエ団プリンシパルに就任
1998年 北京舞踊学院振付・ディプロマ認定
2001年 遼寧バレエ学校校長に就任
中国遼寧省舞踊コンクール最優秀振付賞受賞
カンヌ・ロゼラ・ハイタワーマルセイユ国立ダンススクール高等科校長 10歳の時ミラノ・スカラ座バレエ学校に入学し、コール・ド・バレ エとして踊り出す。 1977年にローザンヌ国際バレエコンクールで金賞を受賞し1979年に はブリュッセルにあるモーリス・ベジャール20世紀バレエ団に入団 する。 1980年にはジョン・ノイマイヤーに入団を勧められ、ハンブルク・ バレエに入団する。 1984年ポルトガル国立バレエにプリンシパルとして入団した4年後モ ンテカルロバレエにソリストとして入団し、1989年にエトワールに 任命され20年間モナコで活躍する。それと同時期にローザンヌ国際 コンクールの委員として出場者の指導に携わる。 2009年1月にカンヌ・ロゼラ・ハイタワーの校長に、2012年にはマル セイユ国立ダンス学校高等科の校長に任命された。
Anna-Marie Holmesはカナダ生まれ。カナダやロンドンでは ヘイノ・ハイデン、リデイア・カルポヴァ、ウィン・ション などを教えたことがある。ニューヨークではフェリア・ドユ ブロフスカとバレエの勉強を続けレニングラードではキエロ フのナタリヤ・ドユデインスカやアレキサンダー・プシュキン 達と練習に励んだ。ロンドンフェステイバル、ロイヤルスコ ッティッシュバレエ、ナショナルバレエオブホーランドなど で活躍した。振り付け師のマクドナルドやデミル、ページな どが彼女のために作品を手がけたこともある。ポルトガルに インターナショナル・アカデミーオブダンスコスタドソルを 設立し芸術監督としても従事した。くるみ割り人形、シンデ レラ、白鳥の湖、眠れる森の美女など多くのステージを手が けた。古典バレエでも沢山の作品を教えている。1985年、19 97年ボストンバレエで芸術監督としてジゼルやドンキーなど の新しい舞台を作り上げた。1990年と1994年にはミシシッピ ー州のジャクソンでインターナショナルコンクールの芸術監 督を務めた。また、ユースアメリカングランプリの審査員と して活動している。
1987年 キエフ国立バレエ学校入学
1995年 キエフ国立バレエ学校卒業、バレエ団にソリストとして入団
1999年 ウクライナ・アカデミー大学芸術学部教育学科卒業
セルジュ・リファール国際コンクール第2位受賞
2002年 ロシア正教会より聖スタ二スラフ勲章受章
2003年 ウクライナ大統領よりウクライナ功労芸術家の称号を受ける
2004年 京都市自治記念日国際交流賞受賞
2008年 ウクライナにおける国際子供バレエコンクール審査員として活躍
2011年 京都市国際交流賞受賞
京都迎賓館にてウクライナ大統領をお迎えし、ウクライナ民族舞踊「ゴパック」を披露。京都市キエフ市姉妹都市提携40周年を記念し、キエフ市シェフチェンコ・オペラ劇場にて記念公演を開催する
2012年 キエフ国立バレエ学校芸術監督に就任
2014年 マラーホフ氏をキエフ国立バレエ学校へ迎え「仮面舞踏会」を公演
キエフ・バレエシアター設立
ノースウェストフロリダバレエ団最高責任者、芸術総監督。
14歳の時、地元のフロリダ州フォートワルトンビーチにあるノースウェストフロリダバレエ学校でバレエを始める。その一年後、奨学金を受け、ニューヨークシティにあるジョフリーバレエ学校に入学。同校で5年間の練習を積んだのち、奨学生としてヴァージニア・インターモント・カレッジに通う。在籍中、ダンスマガジン奨学金を授与される。アレンはルイスヴィルバレエ、ボストンバレエ、 レ・グラン・バレエ・カナディアンなどで公演するなど、ゲストアーティストやゲストインストラクターとして全米で公演に参加。1992年のボストンバレエでの公演時、IYANUという作品で初めて振付をする。その後、アストル・ピアソラヘの敬意から、ブリレータンゴの振付を行う。アルセンチン人の作由家である、クラウディオ・ラガッツィと共に行い、生のタンコ五重奏を特徴付ける作品をつくりあげる。アレンはその後も作品を全米のバレエ団の為に制作している。1995年夏、ノースウェストフロリダバレエに芸術総監督として招聘され、就任。それ以来、9年間芸術監督を務めている。2003年、アレンはノースウェストフロリダバレエに無料の一般教育を施す芸術小学校を設立した功績から、コックスブラボーチャンピオン芸術賞を授与される。2005年、3ヶ月の間、人気ブロードウェイショーであるムービンアウトにて公演。2006年、ジャクソン国際バレエコンクールでインストラクターを務める。
1973年ワガノワ振付学校とサンクトペテルブルグにあるリムスキーコルサコフ・コンセルバトワールのバレエ学校を卒業後、ミンスクのベラルーシ国立ボリショイバレエ学校及びシアターで、主任振付家の地位を得る。
1976年ベラルーシ共和国の最優秀奨学生ベラルーシ名誉アーティスト。
1979年ベラルーシ国民栄誉賞
1985年ソヴィエト連邦国民栄誉賞
1995年ベラルーシ国立音楽学校教授
1996年国際スラブバレエ学校教授
1992年ベラルーシ国立ボリショイバレエシアターの芸術監督及びチーフ振付家。
1993年モスクワ第7回国際バレエコンクールで最優秀振付家として特別賞受賞。
1996年パリユネスコ宮殿でこの年のベスト振付家となり、「パッション」(ログネダ作)で「ベノワドラダンス」賞を受賞。
ニース生まれ。
1977年 パリにあるミュージック・ダンスカレッジを卒業。ローザンヌ国際コンクール1位受賞しパリオペラ座バレエ学校入学
1978年 パリオペラ座 入団。ルドルフ・ヌレエフと共にモンテカルロバレエ団の設立に携わり同団プリンシパルダンサーになる。オペラ座エトワールとしても活躍。
1993年 モナコ王国文化勲章(騎士)を受賞
1994年 ハンブルクバレエ団に招かれる。
1996年 マッジョダンスカンパニーにて2年間バレエマスター、振付師として活躍する。
1998年 チューリッヒオペラバレエにてバレエマスターを務める。
2000年 マッジョダンスカンパニー芸術監督に就任。
2000年 9月 ミラノスカラ座バレエ団のバレエマスター長就任。
2002年 ミラノスカラ座バレエ団 芸術監督、同バレエ学校校長に就任。
1959年ハンガリーバレエインスティチュート(現:ハンガリーダンスアカデミー)を卒業。直後、ハンガリーナショナルオペラ団に加入。1963年にソロダンサーになる。コンテンポラリーバレエは勿論、クラッシクバレエすべての主要な男性の役を演じた。(「くるみ割り人形」、「眠れる森の美女」、「白鳥の湖」、「ジゼル」、「ラフィユマルガルデ」など。)「中国の不思議な役人」や「かかし王子」、モーリス・ベジャール作品「春の祭典」、「火の鳥」などの異なる振付においても大きな成功を収め、振付においても新しい作品を作り上げ、主役として踊った。ハンガリーナショナルオペラの他にもストックホルムとベルリンのバレエ団メンバーであり、ヨーロッパ中の舞台に常に出演。1985年~1986年ハンガリーナショナルオペラのバレエ監督。1989年~1992年サンチアゴ・デ・チリオペラのバレエ監督。ストックホルム・ロイヤルバレエ、デュッセルドルフ・オペラ、また、他のバレエ団からも指導者として招かれた。 1979年ハンガリーバレエ・インスティチュートの総監督となり、彼の指導力の下バレエ団はレベルアップを果たした。ブタベストジュニアバレエと共に、又、アカデミーの競争相手と共に、更に又、2000年初演の「くるみ割り人形」などで彼自身にとっても、学校にとっても大きな成功を収めた。ハンガリーダンスアカデミーは21世紀の初年度に新しい建物に移り、バレエスタジオ、教室、寮、図書館、200人収容の小劇場を備えた立派なキャンパス場である。ハンガリーで最も高い芸術家として認められた数々の意義深い重要な賞を受賞している。
8歳の時、デトロイト、ミシガン州にある、リカルデウスタジオでバレエを始める。その後、ジュリアード音楽学校でダンスを専攻し、音楽を副専攻する。17歳の時、全額奨学金を授与。1965年、当時新しかったシティセンタージョフリーバレエ団に入る。
1966年~1968年の間、ブロードウェイミュージカルの“スイートチャリティー”に出演。1968年にはアメリカンバレエシアターに入り、1979年までプリンシパルとして活躍。1972年、クリーブランドバレエ学校を1976年にはクリーブランドバレエ団をイアンホーバスと共同で設立する。1983年には芸術総監督になり、1985年にはサンノゼバレエ団とサンノゼクリーブランドバレエ団とで共同事業を開始。それぞれの地域にて15年間の活動後、バレエ・サンノゼシリコンバレエとなり、現在はバレエサンノゼとして活動中。彼の振付した作品の分野は多岐に渡り、これまでバレエ、ブロードウェイショー、テレビや映画などで104作品を制作。また、アメリカン・バレエシアター、アトランタバレエやスウェーデン・ロイヤル・バレエなどで振付を担当、その他にも数多くのバレエ団で彼の作品を上演した。彼の作品で36曲のエルヴィス・プレスリーを使った革新的なバレエのブルースウェードシューズとぃうのがある。この作品は全米で放映され、エミー賞の2部門にノミネートされた。また、名古屋国際バレエコンクールでは参加者や生徒を指導。2000年7月にはデンマークコベンハーゲンに4回目の訪問。権威あるバルトリンインターナショナル・バレエセミナーで振付、パドドゥ、レパートリークラスを教える。
アンナマリアは9才でスカラ座バレエ学校に入学し、1960年卒業証書を取得、1963年にはモスクワボリショイ劇場の上級クラスに入学を許可される。又、キーロフバレエスクールで、2年間学んでいる。スカラ座シアターでは、クラシック・アカデミック・バレリーナとしてモダンの解釈をし、多くの重要な役を演じ続けた。アカデミックバレエの上級クラスを終了後、1974年そこで「Sovrintendente Paolo Grassi」と呼ばれ、ミラノ・スカラ座バレエ学校を現在まで校長として指導している。
アンナ・マリアは、1976年より年間スクール公演を制作・主催している。1979年イタリア教育省は彼女を優秀・高度な教育指導者としての賞「a First Degree Master Diploma and Clear Fame Qualification for Teaching」を授与している。また、ローザンヌ、モスクワ、名古屋等多くの世界のコンクールの審査員にも招待されている。更にロシアのクラシックバレエ教本を翻訳したり、バレエ辞典、書物、雑誌を執筆したりもする。1995年には初めてクラッシク・メソッド本を出版したり、スカラ座シアターはじめ他劇場でもさまざまな振付を担当している。
シュツットガルト・バレエ付属・ジョン・クランコ・スクールは1971年創設
タデウス・マタッチ氏は現在の校長
シュツットガルトに生まれる。プライベートスクールにてクラシックを学び始め、後にシュツットガルトバレエ団付属ジョン・クランコ・シューレに入学する。
1986年に卒業後シュツットガルトバレエ団に入団。1994年ソリストに昇格し、1997年にはプリンシパルに任命される。
以後ジョン・クランコ振付による「ロミオとジュリエット」、「オネーギン」など
バレエのすべてのクラシックの重要な役を踊る。又他の振付家、バランシン、アシュトン、マクミラン、ベジャール、フォン・マーネンの作品にも及ぶ。
1998年冬のオリンピックでは開会式においてシュルツ振付のパ・ド・ドゥ他ロイヤルバーミンガムバレエ団やハノーバーバレエ団にも客演。
1999年にはジョン・クランコの名作「オネーギン」のタイトルロールの演技に対し、ブノワ・ド・ラ・ダンス賞(毎年、前年度にもっとも活躍したダンサーと振付家に与えられる世界的に名誉ある賞)にノミネートされた。
退団後の2003年から同アカデミーの正教師として迎えられた。
2005年度のNBAバレエ団の審査員も務めた。
マタッチ氏は、ワルシャワのステート・バレエ・スクールを卒業後、ワルシャワ・グレート・シアターでプリンシパルになった。1984-1992年Karlsruheの州立Badischeシアターのソリストを、1992-1998バレエマスターになり、このシアターの振付を担当した。1999年からシュツットガルトのジョン・クランコ・スクールの理事になり、世界各国のコンクールの審査員として数多く招待されている
ジェーン・ハケットはロイヤルバレエスクールでバレエを学び、続いて英国、ドイツ、オールトリア、イタリア、メキシコ等のバレエ団で数多く踊ったり、振付も担当している。
ジェーンはクラシックだけでなくバランシンを始め新作ものまで幅広いレパートリーをこなしてきた。 教師の時代を経て、その後サドラーズウェルズロイヤルバレエ団、バーミンガムロイヤルバレエ団の教育を担当し、若い才能あるダンサーに「よいチャンスを」与えようとロイヤルバレエ団の教育システムを研究・実践してきた。
一方バーミンガムロイヤルバレエの教育のトップとしてダンサーの資格・取得コースを設立している。ジェーンは更にスクールはすべてのコースで高い水準を保ち、各生徒は一人一人に合ったガイダンスを受けてその才能を十分生かせる機会を与えられるべきであるとの方針を打ち出している。
1964年 オーストリア・ヴィエナ出身
1971年~79年 ウィーン国立歌劇場バレエ学校、カンヌのローゼラ・ハイタワーズ“センター・ドゥ・バレエ、インターナショナル”にてガブリエル・ポペスクと共にクラシックバレエを学ぶ
1979年~2003年 ウィーン国立歌劇場バレエ団団員
1984年 ソリスト昇格
1998年 第一ソリスト昇格
“オデット/オディール”, “ライモンダ”, “ドン・キホーテ”, “眠れる森の美女” (ヌレエフ版・ライト版), “ロミオとジュリエット” (クランコ版), “ラ・フィール・マルガルデ” (アシュトン版)等の主役を踊る。また、バランシン、アルピーノ、バン・ダンツィーク、マシーン、マクミラン等のレパートリーがある。ノーマイヤー、キリアン、ヴァンマーネン等と共に仕事をし、ピーター・シャウフス、マニュエル・ルグリ、ハランゴゾ、タマス・ソリモジ等とパートナーを組む。
ウィーン国立歌劇場バレエ団でヨーロッパ、日本、韓国、イスラエル、キューバなど各国を巡業。
福岡⽣まれ。三ノ上万由美バレエスタジオでバレエを始め、古森美智⼦バレエ団研究所にて研鑽を積み、その後、ロイヤル・バレエ・スクールへと進んだ。 1995年にバーミンガム・ロイヤル・バレエ団へ⼊団し、2002年にプリンシパルとなる。レパートリー(すべて主役)には、「⽩⿃の湖」「リーズ の結婚」「ロミオとジュリエット」「眠れる森の美⼥」「コッペリア」「くるみ割り⼈形」「⽕の⿃」、そして「⼆⽻の鳩」の少⼥がある。 その他、「チェックメイト」の⿊の⼥王、「エリート・シンコペイションズ」、「ラン デブー」など多彩な英国バレエを代表する数々のレパートリーを踊る。芸術監督ディビッド・ビントレーによる「コンツェルト・ファンタジー」と 「ザ・シーズンズ」では初演も務める。
英国ロイヤル・バレエ団やスターダンサーズバレエ団(東京)、新国⽴劇場バレエ団などでゲスト出演。バレエ団を代表して 2006年のロンドン、ロイヤル・フェスティバル・ホール改装後の杮落し公演、ニューヨークMET劇場でのアシュトン⽣誕100周年記念公演での 「⼆⽻の鳩」など、数々の特別な舞台で主演している。2009-2010年シーズン、ビントレー芸術監督振付「シルビア」を初演。 2012年、同⽒が当時芸術監督を務めていた新国⽴バレエ団の「シルビア」にゲスト・プリンシパルとして出演した。
2018年バーミンガム・ロイヤル・バレエ団の⽇本公演、それに続く本拠地での舞台を最後に惜しまれながらカンパニーを引退。2020年6⽉に、The Royal Ballet School’s Diploma of Dance Teaching を取得。
ルーマニアオリンピック体操選手養成チームに所属。後、ルーマニアのクルージナポカアカデミーにてワガノワバレエメソッドを習得。ルーマニア クルージナポカの大学にてルーマニア語、英語の言語学の学位を取得。
[レパートリ ]
クラシック:白鳥の湖、 ドン・キホーテ、ジゼル、ライモンダ、コッベリア、クルミ割り人形、海賊、ロミオとジュリエット、オネーギン、マノン、 シンデレラ、カサブランカ他。モダン(振付家):ジョージ・バランシン、 レイ・バーラ、ロ―ラン・プティらの作品。
[受賞歴]
1990年 ジャクソンコンクール銀メダル
2001年 「Danza&Danza」マガジン
2001年 ベストダンサー賞
2002年 「Steaua Romanie」ルーマニア最高文化賞。
2008年 オーストリア 科学・芸術最高名誉賞
[功績]
2002年 シモーナ・ノア文化財団設立
2006年 ウィーンダンスアートスタジオ設立
2006年~2009年 ウィーンlmPulsTanzフェスティバルにてゲストティーチャー
2009年 ルネフェス・ダンスアートカンパニー設立
2010年~2020年 ウィーン国立歌劇場バレエ学校校長。
NOJA-NEBYLA STAGE EDUCATION代表。
過去の国内評論家
※経歴・肩書は審査当時のもの
舞踊評論家。東京生まれ。NHKに入ったが、早くに事務系からディレクターに転進し、クラシック音楽から洋舞などの外来美術を扱う番組を量産した。しかし長生きしたいと早めにNHKを退職し、フリーターとして番組作りをするかたわら、新聞や雑誌に記事を書く。芸術祭の審査委員など、いくつかの賞の選考委員をつとめたほか、いくつかのコンクールの審査員もつとめている。近年は次第に日本の伝統や花鳥風月に親しんでいる。
1936年4月10日、東京の下町に生れる。 1952年頃から、舞踊公演を見始める。 1957年から、舞踊専門紙誌に批評、作品解説、舞踊史等の論評を書く。 1959年、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。 2000年、「日本洋舞史年表」を新国立劇場情報センターより刊行。 2006年、永年の舞踊評論活動に対し、文化庁長官表彰を受ける。 2007年、舞踊批評塾結成。 2010年、「THE DANCE TIMES」をインターネット上に創刊。 2014年「踊る人にきく」出版。 2018年、文化庁創立50周年記念功労者表彰を受ける。 文化庁、日本芸術文化振興会等の舞踊関係委員を歴任。各地で開催される舞踊コンクールの審査にあたる。舞踊関係各賞の選考に参画。学校、カルチャーセンター等で舞踊論、舞踊史、舞踊の見方等を講義。趣味は俳句。舞踊関係者が集う“まよい句会”同人。
過去の舞踊家審査員
※経歴・肩書は審査当時のもの
1948年生まれ。6歳より近藤博に手ほどきを受け、同志社大学入学とともに有馬龍子に師事し、バレエ団のエトワールとなる。上京後、1973年、漆原宏樹の内弟子となり、牧阿佐美バレヱ団に入団、ソリストとして又、京都バレエ専門学校の教授として長年活躍する。その間、パリ・オベラ座スタイルをイヴェット・ショヴィレ、ミッシェル・ルノーより修得し、あらゆる作品の解釈等、手ほどきを受ける。1994年より振付師としてスタートするが、それまでに海外公演の主役やゲスト・アーティストとして13回にわたり出演する。特に創作バレエにおいてヨーロッパで絶賛された。1997年よりNBAバレエ団の芸術監督に就任し、すでに古典、創作作品を多く振付し、理知的作風に注目を受けている。舞踊作家協会会員。ジャクソン国際コンクール審査員。1979年、専修学校教員認定授与。1992年、文化庁芸術祭賞受賞。1993年、文化庁在外特別研修員(ロイヤル・バレエ団、パリ・オペラ座、オーストラリア・バレエ団にて研修)。2004年、橘秋子賞特別賞受賞。2006年、ジャクソン世界コンクール審査員。
日本大学芸術学部演劇科卒業。武内正夫、江川明、松山樹子の各師に師事。松山バレエ団の《白毛女》で抜擢され《紅色娘子軍》に主演。日本全国、また4回の訪中公演、イタリア、英国、ギリシャ等の公演に主役として参加。連夜《白鳥の湖》の王子を務める。デンマークに残る初期のパレエスタイルであるブルノンヴィル・メソッドに傾倒。《ラ・シルフィード》のジェームス、《ナポリ》のジェンナーロをはじめ、《ロメオとジュリエット》のパリスなどの性格俳優的なもの、《セレナード》のプリンシパル等、バランシンの作品などでも高い評価を得た。京劇をこよなく愛し、その精神と技法を取り入れ《春節序曲》《弓舞》をはじめ全ての作品に反映している。現在、NBA全国コンクールや日中友好バレエコンクール等の審査員。NBAバレエ団教師、振付師。バレエTAMA、日本ワーグナー協会日本シベリウス協会、東京日中友好協会各会員、国立音楽大学教員。
学校法人京都バレエ専門学校校長/ 京都バレエ団代表理事/ 有馬バレエ代表
パリ・オペラ座イヴェット・ショヴィレ、クロード・ベッシー、有馬龍子、服部智恵子、江川明、井上博文、島田廣、石田種生、薄井憲二、安達哲治に師事。ジョンクランコ・バレエスクールに留学。同志社大学文学部美学卒業、高等学校教諭普通免許取得。京都バレエ専門学校卒業、専修学校専門課程教員資格取得。1993 年京都バレエ専門学校2 代目校長に就任。 ダンサー育成に力を注ぐ。「くるみ割り人形」全幕他京都バレエ団、合同バレエ公演等にて振付・指導を手掛ける。また国立パリ・オペラ座より振付者やゲスト・ダンサーを招聘し、毎年公演を主催。各地のコンクール審査員を務める。
【指導者賞】NBA ジュニアバレエコンクール「指導者特別賞」、 PBK コンペティション「最優秀指導者賞」、ザ・バレコン大阪「優秀指導者賞」 【受賞】2017 年10 月「京都府あけぼの賞」2018 年1 月「京都市芸術振興賞」2019 年4 月「第50 回舞踊批評家協会賞」 【受章】2017 年5 月フランス大統領より「レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ」 【所属】(公社)日本バレエ協会会員/国際芸術家協会会員/京都日仏協会会員/全京都洋舞協議会会員/滋賀洋舞協会/(公財)京都市芸術文化協会会員/パリ・オペラ座AROP 会員
多くの古典バレエや「バフチサライの泉」「オセロ」に主演する一方で「枯野」「祇園祭」「女面」をはじめ、原爆をテーマにした「ヒロシマのレクイエム―うしろの・しょうめん・だあれ」など、日本の風土的バレエを創作。橘秋子特別賞、ニムラ賞、東京新聞・舞台芸術賞のほか、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章を受章。現在、東京シティ・バレエ団理事。新国立劇場運営財団理事。多くの古典バレエや「バフチサライの泉」「オセロ」に主演する一方で「枯野」「祇園祭」「女面」をはじめ、原爆をテーマにした「ヒロシマのレクイエム―うしろの・しょうめん・だあれ」など、日本の風土的バレエを創作。
1937年 東京都葛飾区で生まれる
1953年 横山はるひバレエアートスクール入学
1961年 漆原宏樹バレエスタジオ開設
[舞踊歴]
谷桃子バレエ団、東京バレエグループ、東京バレエ団、牧阿佐美バレエ団等で活躍
[創作作品]
春の祭典、キルカス、遊戯、ルードヴィヒ2世、数多くのパ・ド・ドウ
[審査員歴]
埼玉全国舞踊コンクール、(社)日本バレエ協会コンクール、NBA全国バレエコンクール、神戸全国舞踊コンクール他、日本バレエ協会関係のコンクール
10才の時、服部島田バレエ団の古藤かおる先生よりバレエの手ほどきを受ける。その後、本格的に勉強するため、小牧バレエ学園に入学、大滝愛子先生の元で研鑽、舞台、テレビなどに出演 1967年今田バレエ研究所設立、生徒の指導に当たる傍ら香取紀代子先生の元でフラメンコを学び、公演にも参加、現在西東京市にスタジオ、練馬区、埼玉県上尾市などに支部がある。
1966年橘バレエ学校入学。牧阿佐美・三谷恭三。大原永子・清水洋子に師事。1981年AMスチューデンツ第1回公演に於いて「ラ・シルフィード」の主役を踊りデビュー。1983年橘バレエ学校卒業と共に牧阿佐美バレエ団の重要なソリストとして入団。1987年埼玉全国舞踊コンクール第1位橘秋子賞を受賞。牧阿佐美バレエ団では「白鳥の湖」「クルミ割り人形」「ホフマン物語」「ライモンダ」「ドンキホーテ」「ラ・フィユ・マルガルテ」などの全幕の主役を踊るほか、高度なテクニックと軽やかな踊りを持ち味にGバランシン振付の「チャイコフスキーパドゥドゥ」「ルビー」などでの主演に高い評価を得ている。また日本バレエフェスティバルや東京バレエフェスティバルにもたびたび出演し、新国立劇場においても「テーマとヴァリアシオン」のプリンシパルを踊る。1989年村松賞、1991年松山バレエ団芸術奨励賞、1991年橘秋子賞優秀賞など,多くの賞を受賞している。
スターダンサーズバレエ団バレエミストレス
東京都生まれ。成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科卒。 4歳よりバレエを始める。1986年スターダンサーズ・バレエ団入団。95年文化庁在外研修員としてとしてフランクフルト・バレエ団で研修、「エイドス=テロス」に出演した。帰国後、98年日生劇場開場35周年/B.ブレヒト生誕100年記念「七つの大罪」(ヤン・リンケンス振付)においてアンナ役で主演しミルバと共演、99年には坂本龍一オペラ「LIFE」(アントニー・リッツィ振付)に出演。 主な主演作は、W.フォーサイス「ステップテクスト」「アプロクシメイト・ソナタ」B.バランシン「セレナーデ」「フォー・テンペラメンツ」「ウエスタン・シンフォニー」鈴木稔「YONK」「MISSING LINK」など。 現在スターダンサーズ・バレエスクール代表及び 昭和音楽大学バレエコース非常勤講師を務める。
石井みどり、折田克子舞踊研究所主宰。母である石井みどりに師事し、モダンダンス初の文部省派遣在外研修員として渡米。
その後、国内はもとより海外でも幅広く活躍し、常に日本の舞踊界を牽引し続けている。
舞踊界での数々の賞に輝き、近年では長年の功績により紫綬褒章、旭日小受賞。
江口隆哉門下 お茶の水女子大学卒業、日本女子体育大学名誉教授。(社)現代舞踊協会常務理事。
1967年 芸術祭奨励賞
1973年 文化庁在外派遣(米・欧)
1989年 内閣総理大臣賞
1998年 松山バレエ団芸術賞
1999年 江口隆哉賞
2001年 文化庁長官表彰
2003年 旭日小綬章
代表作:「砂の女」「樹魂」「嵐が丘」「風林火山」「いのちの声」他
都立大学法学部卒。舞台芸術学院ミュージカル科卒業後、小川亜矢子に師事。 1984年松山バレエ団に入団。古典作品のみならず、創作作品においても役に対する解釈と創造は、稀有な存在感を出し、2000年に橘秋子賞助演優秀賞を受賞。 同時に自ら主宰する「金田・こうのバレエアカデミー」を率いて指導力も発揮し、国内外のバレエコンクールにおいての上位入賞者を多数育て上げている。また、振付けにも力を注ぎ、モスクワやサンクトペテルブルグにおいての公演も好評を得ている。2004年同バレエ団を退団。現在、日本バレエ協会常務理事、元昭和音楽大学講師、NPO法人芸術文化創造育成センター理事。東京新聞主催全国舞踊コンクール審査員。06年・08年、ザ・バレコン仙台第1位指導賞受賞。NBA全国バレエコンクール児童の部指導者賞受賞。
千葉シティ ジュニアバレエ団 団長/カヨ マフネ クラシックバレエスクール 主宰。
1946年生まれ。松竹少女歌劇団 松竹音楽舞踊学校第20期生首席卒業。渡欧、イタリア・ローマにてヴァレリア・ロンバルデイ、アンドレイ・グロモフ・クラマレフスキーに師事。ローマ、アルジェンティーナ劇場にてペトルーシュカの初舞台以降、主役として「ジゼル」「レ・シルフィード」「コッペリア」「ドン・キホーテ」「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「海賊」「ノートルダムのせむし男」他数々の古典に出演。牧阿佐美バレヱ団入団。ジャック・カーター振付による初演グラン・パ・ド・フィアンセに抜擢され以降、白鳥の湖など数々の公演に出演。「カフラスとアフメス」主演を最後に病のため現役を引退、以後、牧阿佐美バレヱ団に於いて日本で始めてバレエミストレスという役職に。牧阿佐美氏に一代目バレエミストレスとして任命され「くるみ割り人形」「ラ・シルフィード」「バヤデール」「祇王うたかた」、テリーウェストモーランド氏による「白鳥の湖」「ライモンダ」「眠れる森の美女」ほか各公演に従事し、牧阿佐美バレヱ団のコールドバレエの美しさを不動のものとし、1980年にはバレエ団公演で[三つのオレンジへの恋]の創作を発表以来、千葉シティバレエ及びカヨ・マフネクラシックバレエスクール設立、「黄河組曲」「シルクロード巡礼のたび」「月の想い」など創作活動で現在に至る。
日本バレエ協会、現代舞踊協会、板橋区洋舞連盟に所属。モダン・ダンスを石井不二香に師事、クラシックバレエを友井唯起子、NM・アザーリン、KN。マールシェイワに師事。1980年 余芳美教師クラス卒業。1999年より板橋区洋舞連盟会長を務める。2004年より板橋区の文化発信拠点となっている板橋区文化団体連合会の広報部長を務める。
1963年橘バレエ学校卒業後、牧阿佐美バレエ団入団。翌64年橘秋子振付「運命」の主役でデビュー。69年ニューヨーク留学、イゴール・シュベッツオフに師事。帰国後、牧阿佐美バレエ団のプリマとして「白鳥の湖」「ライモンダ」等古典から創作まで全ての作品に主演し活躍し、海外のバレエ団にも客演。文化庁芸術祭や主催公演でもタイトルロールを踊り、我が国の代表的プリマバレリーナとしての地位を確立する。89年バレエシャンブルウエストを設立。「ルナ」「タチアーナ」「シンデレラ」等オリジナル作品の振付にも力を発揮し、現在もバレエシャンブルウエストのプリマバレリーナとして活躍するほか、後進の育成にも尽力している。
芸術選奨文部科学大臣新人賞・舞踊評論家協会賞・橘秋子賞優秀賞・服部智恵子賞・石井漠賞・指導者大賞・橘秋子特別賞・芸術大賞・芸術祭優秀賞
平成17年度芸術選奨文部科学大臣賞
平成18年 紫綬褒章を受章。同年八王子市より文化功労の表彰を受ける。
令和2年 第68回東京新聞舞踊芸術賞受賞
当時、一世を風靡した谷桃子バレエ団で全国津々浦々で舞台に立つ、天才的プリマバレリーナ谷桃子と共に、ソリストとして長きにわたり活躍した。またその間、NHK・民放の番組等で同バレエ団と共に幅広く活躍したのち、1965年「久保幸子バレエ研究所」を創立し45年余りの間、主宰者及び教師として子供から大人、プロフェッショナルの育成指導に励み、沢山のパレリーナを世に送り出すとともに、東京新聞主催・全国舞踊コンクール、埼玉舞踊コンクール、NBA全国バレエコンクールなどに、上位入賞者を数多く輩出している。1994年には、現在の「NPO法人NBAバレエ団」を立ちあげ、現在は幹部4役の一人、バレエ局長として同バレエ団の全組織・全公演の活動に携わり、芸術総監督:安達哲治の右腕として、なくてはならぬ存在として活動中。尚、愛弟子の児玉麗奈、村上摩佐子、清水彩妃はNBAバレエ団にて長きにわたリプリマ・ソリストとして活躍し、現在、久保幸子バレエスタジオの教師として活躍している。
幼少より白鳩バレエ研究所に於いて、大胡しづ子、山口 和江に師事。東京新聞主催全国舞踊コンクールバレエ 第2部、第一位、第二位独占。文部大臣賞受賞。松山バレ エ学校を経て松山バレエ団入団。松山樹子、清水哲太 郎、森下洋子、外崎芳昭、浅野正、山崎敬子、山口優子ら に師事。プリマとして育てられる。バレエに深い御造詣を お持ちの高円宮慶仁親王殿下よりご推挙を賜り、また、 松山バレエ団団長のご尽力により、文化庁国際交流基 金の奨学生として、オーストラリアバレエ学校留学。国 内の公演をはじめ、中国・イタリア公演、イギリスでのヌ レエフフェスティバル、ギリシャ公演などに、ソリストと して参加。ルドルフヌレエフ版、 ドン・キホーテに於い て、キューピーッドを踊り絶賛される。有華バレエスク ール主宰。
5才よりバレエを始め畑佐俊明に師事。1993年に牧阿佐美バレヱ団に入団、18才で『くるみ割り人形』全幕で主役デビュー。 1997年新国立劇場オープンと共に新国立劇場バレエ団に移り、柿落とし公演『眠れる森の 美女』全幕にて森下洋子、吉田都と競演。 以降同バレエ団プリンシパルとして活躍。新国立劇場バレエ団公演、本邦初演ケネス・マクミラン版『マノン』にてタイトル・ロール を日本人として初めて踊る。 2005年橘秋子 賞優秀賞受賞。劇団四季公演『コンタクト』『アンデルセン』にゲスト出演。2008年舞踊批評家協会賞受賞。 2009年芸術選奨文部科学大臣賞。 クラシック・バレエを中心に活動しているがコンテンポラリー・ダンスや ミュージカルにも積極的に挑戦し、新境地拓いている。 現在、洗足学園音楽大学バレエコース客員教授。2013年に島地保武と共にダンス・ユニット Altneu<アルトノイ>を立ち上げ、 2014年に「NHKバレエの饗宴」で『 3月のトリオ』を発表する。 2015年第35回ニムラ舞踊賞受賞。2017年紫綬褒章受賞。2018年第39回橘秋子賞特別賞受賞。
東京都出身。16歳より北原秀晃に師事。19歳で東京バレエ団に入団、ソリストとして多くのレパートリーをこなすが、特にR.ハインド振付の「マルコポーロ」のタイトルロールはベニス、ロンドン等で好評を博し権威あるバレエ雑誌「リド」にも掲載された。その後、東京バレエ団芸術監督に就任。ベジャール振付「ボレロ」他の監修にも当たった。同バレエ団退団後は武蔵野シティバレエに実行委員として参加。現在は創作振付家としてバレエコンテンポラリーカンパニー”ラ・ダンスコントラステ”を主宰し多くの作品を発表している。 受賞歴:日本バレエ協会振付賞 キリンコンテンポラリーアワード奨励賞
1960年より父執行正俊、粕谷辰雄氏に師事する。65年チューダーバレエ特別公演を機にスターダンサーズ・バレエ団に入団。尺田知路、遠藤善久、ロイ・トバイアス、関直人、チューダー、クルトョース、バランチン等多くの振付家の作品に主演する。一方、東京バレエセンター他多くのバレエ団に客演し、主役又はソリストを踊る。また振付者としても個人リサイタル、スターダンサーズ・バレエ団公演等で多くの作品を発表してぃる。96年に日本バレエアカデミーに参加、NBAバレエ団に[コッベリア]、[ボレロ]を振付ける。又、98年の粕谷バレエ団公演におぃても、[ピノキオより愛をこめて]を改訂発表してぃる。海外では、85年、88年の2度エジプトのカイロバレエ団に[動と静]、86年に中国の中央バレエ団に[蕩々たる一衣帯水]を振付ける。2002年に舞踊作家協会会員となり、度々芸術監督を務める。現在、執行バレエスクールを主宰する傍ら、杉並洋舞連盟会長、NBAバレエ団芸術局長、国立音楽大学講師を兼任している。
1990年、SITTER SCHOOL OF DANCING(カナダ)のバレエ部門主任兼振付家に就任。
1998年、日本舞踊批評家協会新人賞受賞。
ローザンヌ国際バレエコンクールにおいて、1999年・2011年に審査員、2001年から2003年まではコンテンポンラリー課題曲の振付けを手がける。
2011年より2013年まで、ユースアメリカグランプリジャパン審査員。
振付作品は、Royal Flanders Ballet(ベルギー)、Hubbard Street Dance Chicago(アメリカ)、Colorado Ballet(アメリカ)、Grand Theater de Geneve(スイス)、Introdans(オランダ)、Singapore dance theater (シンガポール)等をはじめ世界各国の舞踊団のレパートリーになっている。
その他では、宝塚歌劇団の「薔薇の封印」や「Never say good bye」、東宝ミュージカル「エリザベート」(2004年から2013年版)の振付けなどを手がける。
2005年度より神戸女学院大学音楽学部舞踊専攻教授。
小林紀子バレエシアターを経て83年渡米、ニユーヨークのチェンバー・バレエ団、コロラドバレエで公演に参加。86年に帰国後は、多くのバレエ団に客演するかたわら振付家としても盛んな活動を展開。93年、スターダンサーズバレエ団に入団し、バレエマスターに就任する。おもな振付作品として「アンノウン・シンフォニー」「名前のない風」「Light Ba llet」「卒業記念舞踏会」「DANCECROQUIS」「CANDID DANCE」「Degi Meta go―go」バレエ「ドラゴンクエスト」「シンデレラ」などがある。また、NHKニューイヤーオペラコンサート、日本フィル夏休みコンサート、藤原歌劇団オベラ公演などのバレエシーン、海外でも上海大劇院のこけら落とし公演「鵠の橋」を振り付けている。99~2000年、文化庁在外研修員としてフランクフルトバレエ団にて研鑽を積む。帰国後01年に発表した「MiSSING LINK」が好評を博し、この公演の成功により02年にはドイツ・ハイルブロンシアターに招聘され、現地でも高い評価を得ている。近年では、日比野克彦、ひびのこずえなどのアーティストとのコラボレーションにも意欲的に取り組み、05年の万博「愛・地球博」ではイベントの演出を手がけた。日本バレエ協会振付奨励賞、音楽舞踊新聞村松賞、芸術選奨文部大臣新人賞、橘秋子特別賞など、多くの賞を受賞している。
ロサンゼルスバレエ ゲストプリンシパル
10歳よりバレエを始める。ワレリー・コフトン、宗田静子、原田高博、夏山周久らに師事。
2000年、ローザンヌ国際バレエ・コンクールにてスカラーシップ賞/コンテンポラリー賞を受賞。
2000年 英国ロイヤル・バレエスクールに留学。
2001年 英国ロイヤル・バレエスクール卒業。
2002年 札幌開催のユース・アメリカ・グランプリにて1位、ニューヨーク開催の本戦にて銀賞受賞。
2002年12月マイアミ・シティ・バレエ団に入団し、2004年にソリスト、2006年にプリンシパル・ソリストに昇格。
2007年Kバレエカンパニー『ドン・キホーテ』に主演。9月、ジュニア・プリンシパルとして入団し、12月にプリンシパルに昇格。
2009年〜現在にかけてロサンゼルスバレエのゲストプリンシパル。
講師として全国各地でのワークショップ等で後進の育成。
NBAバレエ団元プリンシパル。8年間ボリショイバレエ学校にてマラーホフと同じ教師に学んだ後、モスクワ、オデッサなどのバレエカンパニーにて主役を踊る。「ラ・バヤデール」「ロミオとジュリエット」「白鳥の湖」「ドン・キホーテ」「レ・シルフィード」「くるみ割り人形」「ラ・フィユ・マル・ガルデ」などの主役を踊った。ヨーロッパのカンパニーでの活躍は、ドイツ・ハノーバー州立劇場のプリンシパルとして、ハンガリー国立バレエ団のゲストなど多くの劇場でゲストとして活躍。また、古典作品のみならず、モダン作品や多くのバランシンの作品を主演している。数々の国際ガラコンサートにも出演し、第5回ゴールデン公演にも客演している。現在、NBAバレエ団プリンシパルとして契約。その正確な動きには定評があり、多くのファンを持つ。すでに2002年NBAバレエ団海外公演に主演、その後すべての公演で主演する(イワーノフ版「くるみ割り人形」ハンガリー公演、エスメラルダ、コッペリア・・・・・)。 コンクール受賞歴 1995年、パリ国際バレエコンクール ファイナリスト。1996年、ヘルシンキコンクールファイナリスト。1997年、ブタペスト・ヌレエフコンクール ファイナリスト。
元ザルツブルク州立劇場バレエ団ソリスト。3歳より根本美香、ダ ニエル・レヴァンス、セルジュ・ステファンスキー、ロイ・トヴ ァイアス、ピーター・ブロイヤー、デイヴィット・ハワードなど に師事。1985年オーディションに合格、イヴリン・ハート、パトリック・ビッセ ル、ジャン・シャルル・ジルなどと共に日本・韓国・台湾公演に 出演。高校卒業後正式に同バレエ団に入団。1990年香港バレエ団 ソリストとして移籍。1991年ク州立劇場バレエ団にソリストとして入団、オーストリア・ドイ ツ・スイス・フランス・イタリア・スペイン等ヨーロッパ各地で 踊る。1997年新国立劇場バレエ団にソリストとして契約、同年11 月1日、仙台市に左右木健一・くみバレエスクールを開校。2000 年より本拠地を仙台に移し、後進の指導、および創作活動に専念 する。2012年薄井憲二氏の推薦により、ブルガリア・ヴァルナ国 際バレエコンクールの日本人審査員に任命される。2013年香港ア ジアングランプリのサマーインテンシブ講師に任命される。マレ ーシア Serena Ballet Schoolに招聘される
北海道出身。1957年、松山バレエ学校を経て同団員となり、全ての作品に出演。その間、松山樹子師のパートナーを務める。中国・イギリス・イタリア・ギリシャ・アメリカ等の海外公演に参加。1978年、文化庁在外研修員としてニューヨーク・コペンハーゲン・ロンドンに1年間留学。1983~84年にかけ、ヌレエーフと共に“白鳥の湖”“ジゼル”“ドンキホーテ”等で共演する。1994年、同団退団後は石神井バレエ・アカデミーを中心に各地のバレエスタジオの指導に当たる。
主な振付作品“ジゼル”“白鳥の湖”“コッペリア”“ドン・キホーテ”他
1986年、チャイコフスキー記念東京バレエ団に入団。翌年、ベジャールの『ザ・カブキ』において弱冠21歳で由良之助に抜擢され、一躍話題の的となる。 以来、東京バレエ団のあらゆるレパートリーで主役を演じる。1989年、ブリュッセルのベジャール・バレエ団の公演に客演。ジョルジュ・ドンの代役として『ボレロ』を踊った際には、 カーテンコールが25分という大成功を収めた。シルヴィ・ギエム、ローラン・イレールなど、世界の名だたるバレエダンサーとの共演も数多い。 また、東京バレエ団の海外公演にも20回近く参加。ベルリン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座、ロイヤル・オペラ・ハウス、ウィーン国立歌劇場、ボリショイ劇場など、 各国を代表する歴史と伝統ある劇場において、数々の作品で主演する。1995年のオーストラリア・バレエ団での3カ月間の客演を始め、 近年では、ベルリン『マラーホフ&フレンズ』、メルボルン『オーストラリア・バレエ団創立50周年記念ガラ』、フィレンツェ歌劇場『東日本大震災復興支援ガラ』など、海外での客演も多数。 29年にわたり、東京バレエ団のプリンシパルとして第一線で活躍した後、2015年に退団、特別団員となる。現在は、身長187㎝の恵まれた身体を活かし、 バレエ、ジャズなどジャンルにとらわれず、ダンサーとして活躍する傍ら、舞台の振付も行っている。また、退団後に設立した自身のスタジオ「高岸直樹ダンスアトリエ」などで、後進の指導にあたっている。
1964 年、立教大学経済学部卒業。チャイコフスキー記念東京バレエ団に入団。在団中、ヴァルラーモフ氏、メッセレル女史、タラーソワ女史等に師事。1977年、東京バレエ団退団後、井上博文バレエ団にて「白鳥の湖」の王子、「火の鳥」のイワン王子、東京バレエセンターにて「シンデレラ」の王子、日本バレエ協会にて「コッペリア」のフランツ等踊る。1981年、日本バレエ協会夏季定期公演にて新人賞を受賞。1982年、同上の公演にて振付奨励賞を受賞1983年、文化庁助成日本バレエ協会第6回「全国合同バレエの夕べ」にて「古典交響曲」を振付。文化庁派遣在外研修員、及び、日米交換芸術家として選ばれ、ニューヨークにて一年間、アメリカン・バレエ・シアター、ジュリアード音楽院、メトロポロタン・オペラ・バレエ団等で研修。1986年、日本バレエ協会24回公演バレエフェスティバルにて「ジャンヌ・ダルク」を創作。1988~94年高木俊徳バレエ公演において「額田部皇女」など多くの作品を振付。「細川ガラシャ夫人」がSTBバレエ団(Southern Ballet Theater) のレパートリーとなり、振付のため渡米。フロリダにて上演。その他、スタジオ一番街サンデーパフォーマンスにて「ロメオとジュリエット」「美を見し者は」等創作。現在、日本バレエ協会常務理事、セッション・ハウス、カザミアダンススタジオ、井上バレエ団にて講師、振付師を務める。
9歳より一の宮咲子バレエ研究所にてバレエを始める。一の宮咲子、一の宮英里子に師事。 2009年より鈴木和子に師事。2010年よりWashington School of Ballet にスカラシップ留学。 Kee Juan Han、Carlos Valcarcel に師事。帰国後、日本バレエ協会公演等に出演。 2013年 NBA バレエ団入団。 2016年 プリンシパルに昇格。 「ケルツ」グリーンマン、「ガチョーク讃歌」le bananier、「ブルッフヴァイオリン協奏曲」ピンクカップル、「くるみ割り人形」王子、cavalier、「真夏の夜の夢」パック、「ロミオとジュリエット」マキューシオ、「ドン・キホーテ」バジル、「海賊」コンラッド、「白鳥の湖」王子等を踊る。
満3才から、札幌舞踊会に入所。千田モト、千田雅子先生に師事。1976 年大宮市にバレエ研究所開設。余芳美氏に教授法を学ぶ。1997 年東京都足立区に研究所を開設。
現在、日本バレエアカデミー・NBAバレエ団理事としてコンクール審査員等で活躍。日本バレエ協会会員
1978年 久保栄治・陽子バレエ研究所にてバレエを始める。
1986年 チャイコフスー記念東京バレエ学校に入所。
1988年 埼玉全国バレエコンクール第1位
1989年 東京シティバレエ団入団。入団後、クラシック・創作作品の数々でソリスト・プリンシパルとして活躍し、「くるみ割り人形全幕」「コッペリア全幕」主演、中島伸欣作品で数多く主役を務める。
1995年 橘 秋子記念財団奨学生。
1997年 文化庁芸術在外研修員として一年間、カナダロイヤルウイニッペグバレエ団、ニューヨークにて研修。
2001年 東京シティバレエ団・チャイコフスキー記念東京バレエ団・牧 阿佐美バレエ団・スターダンサーズバレエ団の四大バレエ団共演において中島伸欣振付「フィジカル・ノイズ」に主演し高い評価を得る。
石田種生振付「雪女幻想」に主演。
青山バレエフェスティバル出演。
他、藤原歌劇団のオペラ、新国立劇場オペラに出演。
2002年 現役を引退後、各方面でバレエ講師を務める。
2010年 NBA全国バレエコンクール審査員。
2011年 NBA全国プレコンクール審査員。
群馬県生まれ。山本禮子バレエ団にてバレエを始める。1986年第14回ローザンヌ国際バレエコンクールにて1位、スカラシップを受賞し、スクールオブアメリカンバレエに留学。1988年ヴァルナ国際バレエコンクールにて銅賞を受賞。その後、ロイヤルウィニペグバレエ団に入団し、プリンシパルとして活躍後、1997年にパシィフィックノースウエルトバレエ団に移籍。18年プリンシパルとして活躍後、2014年6月、退団した。同年7月にパシィフィックノースウエストバレエスクールの教師に就任。現在も、アメリカ国内、日本でゲスト講師も務める。
CCJ (The Choreographic Center of Japan) Artistic Director
第17回ローザンヌ国際バレエコンクールにてプロフェッショナル賞を受賞後、モンテカルロ・バレエ団等を経て、イリ・キリアン率いるネザーランド・ダンス・シアターに所属し活躍。07年に日本へ活動の拠点を移した後も、ダンサー・振付家として、新国立劇場バレエ団、Kバレエカンパニー、Noism07、エルヴェ・モローなどに作品を提供。首藤康之との創作活動も積極的に行っており、『Shakespeare THE SONNETS』(新国立劇場)など多くの作品を上演。16〜19年新国立バレエ団「DANCE to the Future」のアドヴァイザーを務め、17年『ベートーヴェン ・ソナタ』、19年『火の鳥』を上演。またキリアン作品のコーチを務め、パリ・オペラ座をはじめ世界各地のバレエ団や学校の指導にあたる。オランダのGolden Theater Prize、第61回芸術選奨文部科学大臣賞、第62回横浜文化賞、第31回服部智恵子賞、18年紫綬褒章、第67回神奈川文化賞など受賞多数。
NPO法人NBAバレエ団理事
故橘秋子女史、牧阿佐美氏に師事。1969年、「白鳥の湖」2幕主演にて橘バレエ学校卒業。以来、バレエ学校教師、日本児童バレエ団(現在の日本ジュニアバレエ団)の教師を務める傍ら、牧阿佐美バレヱ団団員としてすべての公演に参加。主な役柄は、ジャック・カーター氏の「パドフィアンセ」「スタジオーニ」のソリスト、橘秋子氏振付「角兵衛獅子」の妹役、橘バレエ学校創立25周年記念公演にて「白鳥の湖」のオデット・オディール、小林恭氏振付「ドン・キホーテ」1幕のキトリ、1978年NHKバレエのタベ「白鳥の湖」ナポリターナで出演。ジャック・カーター氏振付初演の「くるみ割り人形」でコロンビーヌ、芦笛、テリー・ウェストモーランド氏振付初演の「ライモンダ」で友人役ヘンリェッタ。他に「ジゼル」ペザント・パドドゥ、四羽の白鳥など。1979年退団。地元、東久留米市滝山に「白ゆりバレエ教室」を開設。後進の育成に力を注いでいる。2002年よりNBAバレエ団団員教師、NBAバレエ団公演復刻上演版初演の2003年「くるみ割り人形」、2004年「エスメラルダ」、2005年「コッベリア」のアシスタントミストレス、アシスタントディレクターを務める。NBAバレエ団理事。NBA全国バレエコンクール審査員。息子の永澤博之は4年間の留学を経てオーストラリア国立バレエ学校のジュニアスクール、シエアスクール共に卒業し現在は米国にてプロダンサーとして活躍している。
愛知県出身。越智インターナショナルバレエにてバレエを始める 越智實氏、ニーナ・チストワ氏に師事 91‘スタジオⅠ番街にて小川亜矢子氏に師事 93‘より漆原宏樹バレエスタジオにて漆原宏樹に師事、この年より日本バレエ協会公演及び井上バレエ団、谷バレエ団、シャンブルウエストにゲスト出演する。 00‘小林紀子バレエシアターに入団、小林紀子、小林功氏に師事、この年よりヶネスマクミラン振付「ソリティル」少年、「アナスタシア」アナの夫、デレクディーン振付「ジゼル」ヒラリオン、アシュトン振付「パティヌール」ホワイトカップル、「二羽の鳩」ジプシーの首領、ニネットバロワ振付「レイフスプログレス」ロープに取り憑かれた男などの貴重なるポジションをつとめる。 15‘退団し、現在は漆原宏樹氏のもとでレッスンをしながらフリーの立場から多数のバレエ公演に出演し、振付指導している。特にアダジオの指導においては我が国を代表する一人として男性舞踊家の育成にも寄与している。
NBAバレエ団バレエミストレス。12歳の時カナダナショナルバレエ団のくるみ割り人形でク ララを踊る。 1997年牧阿佐美バレエ団に入団。1998 年よりボストンバレエ学校に留学しワガノワメソッドをマダ ムレガットに師事。留学中ボストンバレエ団公演に出演。 その後2000年、アメリカのサンホセバレエ団に入団。ソ リストとして在団中、全ての公演で主役・ソリスト・コール ド役で出演。 全日本バレエコンクール、NBAバレエコンクー ル、東京新聞バレエコンクール、ジャクソン国際コンクール など、国内外のコンクールで受賞。2000年ニューヨーク 国際バレエコンクールではガラでトリを踊りNew York Times ・Dance Magazineにて高く評価を受ける。 2010年パリ オペラ座教授法を修了。2012年ABT国際トレーニングカ リキュラム資格取得。2013年全日本バレエコンクールに てアンシェルマン審査指導のアシスタントも務める。 主な レパートリーはデニス作品「くるみ割り人形」「コッペリア」 「白鳥の湖」「ロミオとジュリエット」「真夏の夜の夢」「 ジゼル」など、その他ローランドプティ・バランシン・アシ ュトン・クラークティペット・アンソニーチューダー・マー スカニングハム・アルビンエイリー・マーサグラハム・トワ イラサープ・ヨルマイーロなど数々のクラシック、コンテン ポラリー作品。
京都にてバレエを始め、翌年2月牧バレエ団入団。その年の12月にバレエ開始1年で「くるみ割り人形」の主役に抜擢される。その後、「白鳥の湖」全幕のジークフリード王子、「眠れる森の美女」全幕のデジレ王子、「ジゼル」全幕のアルブレヒト等の主役を踊る。第2回埼玉舞踊コンクールの第1位金賞。1976年に東京で開かれた第1回世界大屋バレエコンクールでは銅メダルを受賞。その後、牧阿佐美バレエ団ヨーロッパ公演に参加し、三ヶ月間イタリア、フランス、ロンドン、イスラエルを廻る。また、第1回、第2回のアメリカ世界バレエコンクールにパートナーとして出演。1983年、東京新聞主催日本バレエコンクールシニア部門の第1位の輝かしい栄冠を得る。毎年このコンクールには指導する場として上位入賞を連続果たし、この経験を生かしバレリーナを育成する手腕は高く評価されている。1990~2003年、アメリカ、ヨーロッパ研修数十回。牧阿佐美、レイモン・フランケシティ、ボリス・アキモフ、漆原宏樹、宮城昇等に師事し、そのバランスのとれた教授法には定評があり、春、夏、冬に特別レッスンを行っている。今年から少人数クラスを月1クラスづつ開設している。それぞれのクラスは特徴や違いがあり、そのノウハウもユニークな中に確固たる信念に基づいている。
東京都出身。6歳より矢沢バレエスクールにてバレエを始める。
1998年ボリショイバレエ学校5年生に編入、2001年同校を卒業。
2001年NBA全国舞踊コンクール コンテンポラリーの部2位、同部門スペシャルテクニック賞。
2002年NBA全国舞踊コンクール シニアの部第1位。
2002年国立バレエ・モスクワに入団。
2006年9月Kバレエカンパニーに入団。
入団後は数々の演目で主役を務め、2013年8月同カンパニー退団。
2015~2018、2020、2021年都民芸術フェスティバル、日本バレエ協会参加公演にて主役を演じる。
現在フリーとして活動中。
幼少より橘秋子バレエ団の教師であった母、早川和子より師事を受け、6歳で橘バレエ学校に入学。同バレエ学校第5回卒業生。1957年、牧阿佐美バレヱ団結成時、最年少で参加。記念公演で「白鳥の湖」オデットを踊る。同年アレキサンドラ・ダニロワ公演に大原永子らと共に「四羽の白鳥」で出演。1964年、同バレエ団退団。早川惠美子バレエ研究所を開設。1965年、スターダンサーズ・バレエのアントニー・チューダー公演のオーディションを受け、公演に参加。以後、同バレエ団に所属。1970年退団まで全公演の主要パートを踊る。1972年、井上博文バレエ団において、主役を務めるかたわら、教師・バレエミストレスを務める。井上バレエ団退団後フリーとなり、日本バレエ協会、東京バレエセンター、スターダンサーズ・バレエ、東京バレエグループ、佐多達枝リサイタル等で活躍。1983年9月、東中野の「スタジオトゥループ」に早川惠美子・博子バレエスタジオを開設。1988年、岡山県芸術祭25周年記念公演において「コッペリア」全幕を振付。1990年5月、早川惠美子・博子バレエスタジオ第1回公演を開催以後、毎年定期的に公演を続けている。その他、日本バレエ協会、オペラの振付等を担当。1993年、第4回公演「愛の妙薬」において博子と共に、平成5年度(第48回)文化庁芸術祭賞を受賞。2002年、日本バレエ協会理事に就任。
静謐さと昂揚を自在に奏でるダンサーとして観客の熱い支持を集 め、2006年にスヴェトラーナ・ザハロワ(ボリショイ劇場バレエ団) に『Revelation』を提供以降、近年は振付家として意欲的に作品を 発表。07年『Life Casting』で朝日舞台芸術賞、09年『春の祭典』で 芸術選奨文部科学大臣新人賞、江口隆哉賞を受賞。16年スペイン ・バスク地方やアイヌの伝承音楽を使用した『HYBRID』は欧州ツ アーで好評を博し、新境地を拓く。18年にはパーカッショニストの加藤訓子との共演でスティーヴ・ライヒの「ドラミング」にソロで挑む新作『DOPE』、 NHKバレエの饗宴にて『Chimaira』を初演。舞台での活動のほか、10年~13年ソウル国際ダンスコンクール審査員、 13年~14年全日本バレエコンクールでのコンテンポラリー課題演技を振付指導、 アーティスティックスイミングやフィギュアスケートの日本代表選手の指導を手がけるなど活動は多岐にわたる。筑波大学体育系准教授。
86年より舩木洋子バレエスクールにてバレエを始める。 87年川口ゆり子バレエスクール入学。 00年シャンブルウエスト海外公演にて「オンザロード」の 主役に抜擢される。 01年川口ゆり子バレエスクール卒業。 04年第2回海外公演にてレンスキーを踊る。 「くるみ割り人形」「コッペリア」に主演。 04年よりニュージーランドロイヤルバレエ団で踊る。 97年東京新聞主催全国舞踊コンクール第3位。 97年神戸全国バレエコンクールジュニア男性部門第1位
谷桃子バレエ団所属
前田房江(母)が主催する前田バレエ教室にて3才よりバレエを始める。
1968年 東京シティバレエ団入団
1977年 谷桃子バレエ団入団
金平糖、黒鳥、ガムザッティ、グラーンなど踊る。
1978年 前田バレエ団設立
1998年 静岡県芸術文化奨励賞
2006年 静岡県バレエ協会功労賞
2009年 埼玉県舞踊協会 指導者賞
静岡県文化協会理事 静岡県バレエ協会会長
静岡県文化協会理事 静岡県バレエ連盟副会長
前田バレエ学苑、東京スタジオ、静岡スタジオを主催
静岡新聞静岡放送SBS学苑 静岡校、浜松校主任講師
沼津カルチャーセンター創、主任講師
日本バレエ協会理事、世田谷クラシックバレエ連盟所属
現在、谷桃子バレエ団教師
3歳より、母 宮木登美の主催するミヤキバレエ学園でバレエを始める。
1969年 英国ロイヤルバレエスクールに留学。
1972年 東京シティーバレエ団に入団。すぐソリストに抜擢され、日本各地の公演で主役を踊る。
また、同バレエ団の韓国・香港公演でも主役を努め、各地で好評を得る。
1974年 ベルギー国立バレエ・ド・ヴァロニーに入団、ベルギー各地、ドイツ等を回る。
1976年 帰国後、東京シティーバレエ団で多くの主役を踊る。
1977年 文化庁在外研修員として、英国ロイヤルバレエ団、バレエスクール、アメリカンバレエシアターで踊る
1979年 井上バレエ団の日生劇場公演に客演し、パリ・オペラ座(当日朝のパトリック・デュポンをパートナーに「眠れる森の美女」全幕のオーロラ姫を踊る。
1980年より ミヤキバレエ団のプリマ・として、「ジゼル」「オルフ」「ドン・キホーテ」等に主演。
また、日本バレエ協会の「海賊」「くるみ割り人形」「ロメオとジュリエット」「眠れる森の美女」等の全幕公演で主役を踊る。また、日本バレエフェスティバルや(イタリア放送賞、およびアメリカのエミー賞などを受賞した)NHKテレビ番組の「月」で主役のかぐや姫を踊る等、多くの舞台で活躍。
1985年 芸術選奨文部大臣新人賞。及び、舞踊批評家協会賞を受賞。
東京バレエワークスを設立、現在は舞台活動の他、東京バレエワークスに於いて、東京神奈川、宮崎の各地で後進の指導にあたっている。
現在、東京バレエワークス、井上バレエ団で後進の指導にあたっている。また多くのバレエコンクールの審査員を務める。
谷桃子バレエ研究所を経て谷桃子バレエ団入団。1年後、ソリストに昇格「白鳥の湖」パ・ド・トロワ、大きな白鳥、「ジゼル」ミルタ等バレエ団全公演に参加。その後チャイコフスキー記念東京バレエ学校開校にてS.M.メッセレル女史、A.M.バルラーモフ氏に師事。バレエ学校解散に伴いバレエ団に復帰、都民劇場合同公演「白鳥の湖」で主役デビュー。後にS.M.メッセレル女史の推薦でボリショイ劇場にてゲルト女史の指導を受ける。又、ロンドン・フランス・ベルギー等で研鑽を積む。国内では谷桃子バレエ団公演他、NHKバレエの夕べ、日本バレエ協会公演などで重要な役柄を踊る。80年バレエ団退団以降は後進の育成・指導・振付に従事、舞台でも脇役として活躍。現在スタジオSTEP-1主宰。 サカモトミュージックスクールバレエ科主任講師。日活俳優科講師。
橘バレエ学校を卒業後、牧阿佐美バレヱ団に入団。橘秋子、牧阿佐美に師事。ニューヨークに留学後、1971年TBSドラマ「赤い靴」主演。1978年ベルギー王立バレエ団と契約。1985年橘秋子賞優秀賞受賞。1988年服部智恵子賞受賞。現在、ゆうきみほバレエスタジオ主宰。牧阿佐美バレヱ団団員。橘バレエ学校教師。
三島由紀夫後援「6人のアバンギャルド」制作・公演。以来、自由ダンスを名乗り、舞踊作家・ダンサーを展開。民音・東京国際振付コンクール、ソウル国際舞踊を審査。フィラデルフィア、ソウル、東京などの世界舞踊祭も主催。紫綬褒章・旭日小綬章、東京新聞・舞踊芸術賞、現代舞踊協会・江口隆哉賞、舞踊評論家協会賞等、受章。現代舞踊協会・理事長、世界舞踊連盟日本会長。筑波大学名誉教授。